DATE 2008.11.27 NO .



 ――この手に在るのは、自由の象徴。



 エドガーが最近熱中しているのが、飛空艇の模型造りだ。
 どこかの誰かが所有している、そんな程度の話しか知らない。
 それでも、若い王子にとっては充分だった。
 特に興味をもっていた機械工学の知識に任せて、ひたすらに取り組んでいた。
 いつか本物を見てみたい。そして、造ってみたい。
 ただ、それだけの想いで。

 空はきっと、この身を縛るものなど何もなく、自由なのだろうから。



「全く、素晴らしいですな殿下!」
「本当に。我々も頼もしい限りですよ」

 傍を通る研究員達の声。その都度エドガーは顔をあげ、にこりと微笑む。

(こういう時は、笑っておくに限る。それに時間がないんだ、時間が……)

 次の予定まであと何分あっただろうか。

 若干の焦りを感じながら背後の時計を見やった、その時。

「へぇ……これは、空を飛ぶの?」

 いつの間にか後ろに誰かいたらしい。そこには、エドガーの模型を指さす女性がいた。

「あぁ、そうだ、が……」

(……誰だ?)

 自分より一回りほど年上に見える彼女に、エドガーは見覚えがない。
 この城に仕える者なら、どんなに下位でも自分の顔を知らないはずがない。
 知っていれば、こんな砕けた口調で話し掛けてくるはずがない。

 だが、彼女の容姿を見ている内に、何となく想像がついてきた。
 後ろでひとつに結われた髪は、エドガーよりは褪せた色をしているものの、金。
 模型を映す大きな瞳は、蒼だ。
 そして纏うのは豪奢なドレスではなく、かといって身分の低さを思わせる事など全くない、洗練された衣服。

「もしかして――」

「ほんとに飛ぶの? こんなちっさい羽根でこんな大きい船体が、なんて、アンバランスにも程があるじゃない」

 心当たりのある名前を口にしようとしたところで、彼女はエドガーの前に回り込み、動力部の辺りを指さした。

(たぶん……合ってるな)

 エドガーの脳裏に、先日父王に聞いた言葉が蘇る。


『――公爵が亡くなったのは、知っているな?』
『はい。確か……アントリオン狩りの少し前、でしたか』
『そうだ。そのためにその後の成人の儀や祝宴には、公爵家からは誰も来ていない』
『次の当主は、夫人で父上の……』
『従妹だ。お前より11年上で、16の時に公爵家に嫁いでいる。
……少々口は悪いが、私やお前のような立場からすれば、清々しい者かもしれん――』


「――動力の仕組みについて私なりに語りたい気持ちもありますが……そろそろ父上にお会いになる時間ではありませんか、グウィネヴィア殿」

 名前を呼ばれた事が意外なのか、彼女――グウィネヴィアは目を瞠る。

「……私の事、覚えてたの?」

 もうそろそろ迎えが来てしまう。
 諦めて周りのものを手早く片づけながら、エドガーは向けられた問いに正直に答えた。

「いえ、全く。父上のお話を思い出して、貴女の事ではないかと思ったまでです」

 父の話によれば、自分が5歳の時に嫁いだ女性、だ。弟マシアスのような間柄ならともかく、そう会う機会もないというのに覚えているわけがない。
 言外にそんな意味を込めて言ったつもりだったエドガーだったが、一拍おいて、思いもよらない返事が返ってきた。

「ダメね、不合格」

「は……?」

 手を止めて、エドガーは机の前に立つグウィネヴィアを見上げる。
 腰に片手をあてて見下ろしてくる彼女と、自分。

 まるで歴史や財政学の先生と相対している時のような構図だ。
 ただ決定的に違うのが、その後に続く言葉。

「いい男になりたいなら、そこはもうちょっと言い方を考えないと。たとえ大嫌いな相手でも、笑って話を繋ぐくらい出来るようになりなさい。あと、話す時はちゃんと相手の目を見る事!」

 エドガーは一瞬、何の話か理解出来ない。

「グウィネヴィア、殿……?」

「あ、それもダメ。王子様なんだから、遠慮なく呼び捨てにしていいから」

 「様」ならともかく「殿」なら別におかしくないはず、とエドガーは思考を巡らせる。
 彼女は王族に連なる者であり、また若く女性とはいえれっきとした公爵領主。この国の頂点に立つ父も、私的な場ならともあれ、公式の場では他の者達と少し態度を変えるであろう地位の相手だ。

「……何か小難しい事考えてない?」

「しかし、貴女は私のいとこお――」

「ストップーっ! それ以上は禁句よ、禁句!!」

「は、はぁ……」

 エドガーにとっては初めてのタイプの人間だった。
 この国の王子たる身にとって、こういう相手はどうしても少なくなる。

「それよりもう行かなくてよいのですか? 先程も申し上げましたが父上に――」

「え……って、あーーっ!! 何でもっと早く言ってくれないの!?」

「ですから先程も申し上げたではありませんか……」

 どのように振る舞えばいいかわからずに困っていた、その時だった。

「――エドガー様、お迎えに参りました」

「ジェフ!」

 階段のすぐ傍にジェフリーが姿を見せていた。
 次の予定――剣術稽古までに出来るところまで進めておかないと、と焦っていたのを忘れて、助け舟の登場にエドガーは胸をなでおろす。

「今行く、もう少しだけ待っていてくれ」

「はっ、かしこまりました」

 一言告げてから急いで残りのものを片づけてしまおうと立ち上がる。
 そこでエドガーは、グウィネヴィアの様子がおかしい事に気づいた。

 それから、ジェフリーも。

「マクラウド家の……ジェフ、リー……?」

 ジェフリーの声を聞いて振り向いたまま固まっていたグウィネヴィアは、やっとといった様子でそう言葉を絞り出す。

 対して、ジェフリーは何も言わない。
 不自然なまでに黙ったままだ。

「そうですよ。彼がジェフリー=マクラウド。……私に武術を教えてくれていますが、どうかなさったのですか?」

 気まずい沈黙に耐えかねてそう言ったエドガーの声に、先程までとは打って変わった様子で、グウィネヴィアは笑みを浮かべる。

 それから彼女の唇は、まるで違う人間のような口調の言葉を紡ぎ始めた。

「久しいですね、ジェフリー。お元気でしたか?」

「グウィネヴィア様には、ご機嫌麗しゅう……」

 ようやく口を開いて歩み寄り、グウィネヴィアの手に口づけるジェフリーの様子そのものは、エドガーにとっては見慣れた世界の光景だ。
 だが、さっきまでとの違いは、何なのだろう?
 エドガーの胸の中に疑問が渦巻く。

「――では、エドガー殿下。私はこれにて。そろそろ陛下の下にご挨拶に参らなければ」

 エドガーが何か言う暇もなく、グウィネヴィアは階段の向こうに消えていった。

「御支度はお済みですか、エドガー様?」

 掛けられた声に我に返ったエドガーの振り向く頃には、ジェフリーがいつものように穏やかな笑みを湛えて傍に控えている。

「あ、あぁ……行こうか」

 ようやく完成型の見えてきた模型を片づけ終え、エドガーはその場をあとにした。



 15の誕生日が、間近に迫っていた。

 その日までに仕上げる事。

 それが、エドガーが己に課した目標だ。






「――マッシュ、入るぞ?」

 弟がまた体調を崩したと聞き、時間を見つけて私室を訪れたエドガーは、予想外の先客に思わず声をあげる。

「父上!?」

 懐中時計を取り出し時間を確かめる。
 どう見ても、普段ならまだ執務室にこもっているであろう頃だ。

「それほど驚く事でもなかろうに」

 そう言って苦笑する父を見ていると、エドガーの頬も自然と緩んだ。
 食事の時のように誰かが控えている事もない、家族水入らず。
 久しぶりだった。

 心が弾むのを感じながらマッシュのベッドに歩み寄ったエドガーの目に、見慣れないものが映った。

「これは……図書室から持って来させたのか?」

「ううん、叔父上が下さったんだ。お前は人一倍勉学に励まなければならないのだから、これぐらい読みこなせるようになりなさい、って」

「へぇ……」

 ベッドのすぐ傍の机に積み上げられた本の内の一つを手に取り、エドガーは無造作にページを繰る。マッシュが頻繁に体調を崩すせいで勉学の進み具合に開きがあるというのに、それはエドガーにとっても難解なものだった。

「難しいけど、退屈しのぎにはなるよ」

「勉強より何より、お前はまず元気にならないと!」

「それでもさ、師匠に教わるようになってから、俺も随分変わったと思わない?」

「……ちょっとだけ強くなったかもな」

「ちょっとって、ひどいな兄貴は〜」

 マッシュはそれほど悪いようではないらしく、エドガーは少し安堵する。
 確かに、マッシュは少しずつ丈夫になっているようだ。

「――本当に仲が良いな、お前達は」

 大きな手が二人の頭をなでる。

「マッシュも、いつか必ず元気になれる。例えばほら、今エドガーの入ってきた扉は頑丈な素材で出来た大きなものだが、それを支えるあの小さな蝶番が無くなればただの邪魔な板でしかなくなる。支えてくれる者達の事を忘れずに精進し、二人で力を合わせるのだ。――兄も、きっとそう望んでいる」

「…父上?」

 少し普段と違う様子の父親に、エドガーは一瞬違和感を覚える。

「もちろんです! だって、ね?」

 けれどマッシュの笑顔を見て、そんな事はすぐに頭の中から消え去った。

「そうだな。だって俺達、予言を享けたんだからな!」



 ――不安に思う事など、何ひとつない。
 家族が、傍にいてくれる。
 将来に待っている重責も、乗り越えられる。





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